報告レポート

第9回 福岡岬塾

第9回【みさき塾】

2010.8.21/あすみん

《主宰;権藤氏より》

第一回「徒然草」吉田兼好(1283年~1352年・弘安6年~文和1年?)

第二回「五輪書」宮本武蔵(1584年~1645年・天正12年~正保2年)

第三回「翁問答」中江藤樹(1608年~1648年・慶長13年~正保5年)

第四回「山鹿語類」山鹿素行(1622年~1685年・元和8年~貞享2年)

第五回「童子問(どうじもん)」(」)伊藤仁斎(1627年~1705年・寛永4年~宝永2年)

第六回「養生訓」貝原益軒(1630年~1714年・寛永7年~正徳4年)

第七回「おくのほそ道」松尾芭蕉(1644年~1694年・正保1年~元禄7年)

第八回「折たく柴の記」新井白石(1657年~1725年・明暦3年~享保10年)

第九回「葉隠」山本常朝(1659年~1719年・万治2年~享保4年)

1、徳川家康、2、徳川秀忠、3、徳川家光(1623年~1651年)、

4、徳川家綱(1651年~1680年)、5、徳川綱吉(1680年~1709年)

6、徳川家宣(1709年~1712年)7、徳川家継(1712年~1716年)

8、徳川吉宗(1716年~1745年)9、徳川家重(1745年~1760年)

1、黒田長政2、黒田忠之(1602~1654年)3、黒田光之(1654年~1707年)4、黒田綱政(1707年~1711年)5、黒田宣政(1711年~1719年)6、黒田継高(1719年~1769年)

<息吹く…権藤>

「あなたの死にがい何ですか?」草柳大蔵氏と哲学者 安岡正篤氏が紹介した「人生五計説」

人間には五つの計(はかりごと)があるとし、 中国宋末時代の見識ある官吏・朱新仲(しゅしんちゅう)(1097-1167)が教訓としてまとめ伝えられた。生計、新計、家計、老計、死計は円環の思想である。

朱新仲は、悪政の宰相に睨まれ憎まれ、迎合しないために辺地に流された。しかし、19年間の流謫生活で悠々と自然を愛し、その地の人々に深く慕われた人。

*生計;起きてから寝るまで、日々毎日心がけるべきこととは何か
自分与えられた生命をいかに大事に全うするか、そのための計画である。

当然、健康と体調とかが計画の主軸となる。

*身計;わが身をいかに人間として社会に対処させていくべきか
社会生活・社会活動をいかに整斉と送ってゆくか、そのための計画・心構  えである。

何を持って世に立つか、いかなる職業・価値観を持って生きていくか。

*家計;夫婦、親子関係はどうあるべきか
一家をどう維持していくか。収支のやりくり。

*老計;いかに「老」たるものの価値を生かして生きるべきか
いかに年とっていくか。

*死計;「死」を超越し、不朽不滅に生きる生き方とは

いかに死んでいくか。

《受講生を代表し、毎回ひとり自由発表制度開始》

第1弾/池田康徳氏(福岡運輸)

最近相次いでなくされた両親の貴重な体験談(詳細はあえてデータ化しません)

《岬龍一郎先生》

(池田氏の話しを受け)しんみりとしたが『死』は誰にでも訪れる。

どんな人間だって『時間経過は同じ!』である。

ここ最近、古典名著の翻訳家と思われているが、本当はオリジナリティ溢れる作品を書く格好良い作家がいいが、もう欲しがらない。

30才の頃、見たヴィスコンティ(注;ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ 1906〜1976年、イタリアの映画監督、舞台演出家、脚本家)の映画『ベニスに死す』で印象深い台詞があった。

『砂時計の砂は初めは少しずつ落ちるので、別に気にもしない。 しかし、いよいよ僅かになると、砂は勢いよく落ちはじめ、 止めることはできない』

俺自身まだまだ若くて人生の折返点程度にしか考えていなかったが、60才過ぎると年賀状は減ってくるし、葬儀参列が増えてきた。(笑)

ラテン語で「自分もいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句『メメント・モリ』。

人生とは生を受け、死ぬまでのプロセスであり、いかに楽しむかを追求し、いつ死ぬか分からぬ現実を常に自覚せよ!ということである。

『死を意識したら生が輝く!』

あと3日の命と考えてみろ。

誰に会いたいか?

何を食いたいか?

(神風)特攻隊の気持ちになってみよ!

あと3日の命だとしても特別なことはしなくて良い。

あるリンゴ農家は「明日も今日と同じように樹木の手入れをする。」そうだ。

未来に残せる仕事をせよ。

それを死ぬまで続ける。

ここ最近の高齢者行方不明問題は現代を象徴している。

身寄りなき孤独死の後始末をする特殊清掃人の仕事は大変だそうだ。

行政の担当者は遺骨を焼き場で処理し、必死に遺族を探し当てるものの、遺骨を受け取りにくるでもなく、なんと宅配便を希望するそうだ。

親子関係の崩壊とは社会の問題でもあるが、あくまで我々の心の問題である。

資本主義社会では非生産者がないがしろにされてしまう。

ますます進む高齢化日本。大きな課題である。

これまでのような『人情』に頼ったやり方では無理であり、介護関係者の収入アップなど時代に即したシステムが必要である。

人間は必ずいつか死ぬ!『一日が一生の覚悟で生きよ!』

人生は長いと思っているか、短いと思っているかで人生の内容が大きく変わってくる。

ローマの哲学者セネカ(注;ルキウス・アンナエウス・セネカ BC1年頃 -〜65年、ローマ帝国のユリウス・クラウディウス朝時代の政治家、哲学者、詩人)は『人生の短さについて』という名著を残した。

権力や金力に負けていないか?

自分自身で物事を決めているか?

自分自身の人生を歩んでいるのか?

旧友には田舎で自給自足の生活をしたいとの願望があったが、病気で亡くなってしまった。

死に直面した時にはもう遅いということ。

もっと早く自覚し、行動すること!

自分が奴隷であることを忘れた時から不幸が始まるんだぞ。

文句があるなら声に出すべき。

ダメな上司などいっぱいいるだろう?(笑)

我が子の虐待などいびつな人口ピラミッドになった日本。

戦後の焼け野原から必死に立ち直った努力には感謝するが、「今の若いものは…」という老人達はダメだ!おめえらが作ったんだろ!

《公》社会、《私》個人、集合体となった時に大きく間違っている場合が往々にある。

セネカは、『日々日常を充足して生きよ!』と言っている。

(受講生)池田!死を意識して変わっただろ?

そこで『武士道』である。

常に戦場で生き抜くためには『死を覚悟』する。

覚悟とは文字通り、悟りを覚えることであり、ある意味、開き直りである。

開き直るとは『無』になることであり、『無』から力が湧いてくるのである。

世界から認められた『新渡戸稲造の武士道』は大変柔らかい。

それは彼がクリスチャンであり、『愛』があるからであり、その元となったのが『葉隠』である。

山鹿素行は「今日殺されてもいいんだ!」と生きていた。

特攻隊の話しに戻るが、出撃に向け、身辺整理をし、家族に宛て、綺麗な文字で書かれた手紙は泣ける。

天皇陛下万歳の裏側には「母ちゃん死にたくない」が読み取れる。

各地に残る戦争資料館などぜひ訪れてみるべきである!

しかし、武士は生まれながらにして『覚悟』をもっている。

『死を恐れない!』その極地が山本常朝の『葉隠』である。

山本常朝が師事した『陽明学』は『行動の哲学』であり『知行合一』を実践し、死を常に覚悟する『革命の思想』であろう。

後の三島由紀夫に見られるよう、エキセントリックな思想であるが、天保の飢饉で大塩平八郎が起こした反乱のように世の中を変える原動力でもある。

山鹿素行は「武士は国家の為政者として生きよ!」平和な時代だったからであるが、そんな時代であっても山本常朝はとんがった人だった。

『武士道とは死ぬことと見つけたり』

この思想が脚光を浴びるのは大正時代になってから。

鍋島藩内だけで伝えられた禁著であった。

<『葉隠』扉頁〜プロフィール頁朗読>

山本常朝は鍋島藩で社長室長的な立場であった。

山本42才の時、他界した殿との殉死を希望するが禁止される。

秦の始皇帝・兵馬俑に見られるよう、殿への忠誠から殉死が常識だった時代、優秀な人材の喪失に繋がると徳川家綱時代に御法度となった。

そこで山本は出家する。

出家するとは『死』の世界に入ることでもある。

源平合戦で斬殺された平敦盛はまだ14才であった。

戦場で年齢は関係ない。

出家した山本常朝の前に突然、田代陣基(つらもと)が現れ、7年かけて取材し書き記したのが『葉隠』として現代に伝わった。

<P101〜朗読>

三島由紀夫の日本刀(関の孫六)を市谷自衛隊本部(当時)の幕僚長が見たいとのことで持ち込む事ができ、例の事件となった。

バルコニーで檄を飛ばした三島由紀夫の「私にとって、ただ一冊の本」が『葉隠』であった。

肉体改造し、あの死に方を遂げた背景にある『葉隠』は危険な本と批判を受けたこともあるが、大いなる誤解である。

<P102〜朗読>

小利口な上方の連中は、かの忠臣蔵をもてはやすが、葉隠的には即座にやり返せ!1年もかけて卑怯だ! 敵が病死でもしたらどうする。

侍とは戦場へ赴く軍人であり、『散り際』が大切である!

かの仙崖和尚は死に際、「死にとうねえ」と3回も言ったそうだ。

立場によって変わるであろうが、軍人は格好良く死ねば名が残る。

中東のジハード、自爆テロもしかり、神の境地へ行けるし犬死にではないという価値観に基づいている。

<P103〜104頁朗読>

侍の原理原則を説いた『純粋武士道』とも言うべき著書である。

為政者としては失格であろう。あまりにストレートすぎて場合によっては『豚に真珠』『猫に小判』かもしれない。

大リーガー松坂の球をかつて受けていたタレントがいるが、きっちりと受け止めてくれるパートナー、社員は大事である。

社長の優れたアイデアも理解し、行動してくれる社員がいないと意味がない。

良い旦那に良い女房がいて幸せな家庭が出来上がるということだ。

<P105〜朗読>

黒沢監督の名作『生きる』中、公園のブランコで『命短し恋せよ乙女』のシーンは感動的である。

役所勤務で、たらい回しにされている公園要望の声に応えんと黙々、公園を作る話しは素晴しい。

ただ長生きするだけでは意味がないぞ!

<P106〜107頁朗読>

自分自身の周りへの影響力や関係性などはすべて常日頃の『他人への心遣い』で決まる。

尊敬されていれば自分の話しを聞いてもらえるし、幸せな環境といえよう。

『天皇陛下』と聞いて直立不動となるのは単なる訓練である。

本当に尊敬されるために自分を磨け!

ビジネストークとしても役立つが『心が震える言葉』を使えるようになれ!

そのために福岡までやってきている。

ちなみに東京では2回の欠席で除名となる。

とにかく人間いつ死ぬか分からない。

常に綺麗なパンツをはいとけよ。(笑)

<P108〜ラストまで朗読>

そもそも鍋島藩は軍艦をもち、アームストロング砲という最新兵器を備えた最強軍隊であったが幕末の政争でも『薩長土肥』と最後に並ぶよう、リーダーとはならなかった。

江藤新平の脱藩など激動の時代を迎えるが、初代内閣に大きな影響を与えているのが葉隠であろう。

全閣僚中8名がモンテスキューを読破しており、大隈重信や副島種臣は佐賀藩を手本としたと明言している。

佐賀藩は保守的ではあるが、きわめて真面目なシステムを構築していたといえる。伊万里焼きなどは世界で評価され、広大な佐賀平野、山もあり生命豊かな有明海もある。

高速道路・有田〜波佐見間など広くていいが、長崎に入った途端、道幅が狭くなる。(笑)

佐賀出身・電通最高顧問会長・成田氏が言っておられたが佐賀では小学時代に論語を学ぶんだそうだ。そういう風土が大切なのであろう。

『死を覚悟して生きよ!』

吉田兼好は『死は常に後ろから忍び寄る』といっている。

理想は腹上死だな。(笑)

夏目漱石の小説にもたびたび登場する『高等遊民』そのルーツのひとつが中国明代末期の書物『菜根譚』であろう。

ガチガチの『儒教』、だらだらの『老荘』。

その中間がこの『菜根譚』、かの東急グループの創業者・五島慶太や川上哲治、野村克也など多くの成功者が心酔し、大絶賛する本である。ホッとする内容だぞ。

『知の格差』が始まっている。

学問すべし!豚に真珠になるなよ!

※次回は10月16日『石田梅岩』を学びます。

この後、『十徳や』にて懇親会。

参加者の近況報告も楽しみのひとつとなってきました。

全国岬塾について